Column SORA

挑戦したくなる空気

 

~うちの会社の部下には、もっと挑戦する意欲がほしい~

~うちのチームの子供達には、もっと挑む気持ちがほしい~

 

「そうしたことは常々個々に伝えているが、期待しているほど挑もうとする姿勢がなかなか出てこない…」…このように嘆く言葉が、経営者のみならず、学生スポーツ指導者、時にはお子さんを育てている各家庭の保護者からも聞かされることがあります。

 

常に「どんどん挑戦しなさい」と投げかけているにも関わらず、なぜ、挑む姿勢に変わらないのか…この要因の一つとして、ボクらが常に大切にしている、そこに漂う「空気」について考察してみました。今回は、各家庭であれ、学生競技のチームであれ、職場であれ、どの場面でも存在する目に見えない「文化」とも言える…「空気」のお話です。

 

 

環境で空気は変わる

社会人の職場環境…子供達の教育現場…学生競技での選手育成…ボクらは、これら全ての場面で共通して重要視している「環境」があります。

それは、常に挑み続ける「空気」をつくる前に、「失敗できる環境づくり」が、いかに大切かということです。

 

これを逆説的な言い方に替えると、どのような場面でも、いつの間にか「挑戦意欲が削がれてしまっている空気」ができてしまっている…そのことへの警鐘でもあったりします。

 

一方で、「失敗できる環境づくりを…」という表現を使うと、少し違和感を覚える人もいるようです。

「失敗ばかり許される場になってもいけない。それを容認する空気が、甘えられる場所と誤解されることもある。」ということなのでしょう。

  

この「甘えの構造を許す」という誤解にならないようにしたいというマインド…これが、組織を束ねて結果(業績利益や戦績)を求められる経営者やチーム監督などに働くのは、当然のことです。それは、各家庭での子供の向き合い方…つまりは、保護者や指導者でも「甘えの構造をつくりたくない」というのも同じ感覚でしょう。

   

ただし、常に挑み続ける姿勢を促しているという本質的な想いは同じはずです。

そしてボクらもまた「甘えの構造をつくろう」と言っているのでもありません。  

   

まずこの点から整理しておきましょう。ボクらは、「挑戦」「挑む姿勢」が芽生える環境づくりについて語る前に、組織のトップ(チーム監督)自身が、一つ大切なことを認識しておくべきだと思っています。

 

 

褒めると認めるは違う

「挑戦」「挑む姿勢」が芽生える環境づくりについて語る前に、日頃から意識しておくべき一つ大切な事…その結論を先に述べましょう。それは…

 

個々それぞれの日常のあたり前の働きをしっかり「認知する」

ということです。どういうことか…

 

職場などでは、「それぞれの持ち場で自分の仕事を全うするのはあたり前のこと」ということになるのが一般的です。

あたり前のことを、一つひとつ褒めていたらキリがない…むしろ、褒められたほうは、「こんなことで褒められるのか」と気が大きくなるだけで、それ以上の向上心が芽生えず、挑む意欲なんて出てこないのでは…おそらく、そういったことを危惧されているのでしょう。

    

ここで肝心なのは…なんでもかんでも闇雲に「褒める」ということを重要視しているのではありません。

それよりも、何気ないあたり前の働きと思われることをしっかりやっていることをマネジメントしている人から「認めてあげる」ということを怠らないでほしいんですね。

 

つまり、「褒める」と「認める」は違うのです。

 

 

目標と目的は違う

それでもまだ、「個々に任された日々の仕事を、しっかりとこなしてもらうのはあたり前。それなりの対価(給料)を払っている。いや、払っている対価以上の生産性をもっと上げてもらいたいくらい。」という雇用主・経営者も多くいます。

  

しかし、自分達の組織運営の「目的」は何か?…その本質を、組織内でしっかりと明確にすることが大切です。

 

株式会社などの事業組織なら「利益を上げること」と言う人もいるでしょう。

学生スポーツならば「全国制覇を目指して良い成績を残す」と明言する指導者もいます。

 

…さて…それは組織の「目標」ではありますが、はたして「目的」でしょうか?

この「本質的な目的」については、昨今、どの場面でも軽視されてがちなのが、とても気になる点です。

組織(チーム)のトップが、短期的な「目標」ばかりに意識をとられがちにマネジメントしている例がとても多いことが気になります。

もちろん、目標を掲げることを否定しているわけではありません。むしろ、目標は組織の指針としても大切なことです。

 

そのことよりも、「目的」自体は、本来、そのチーム組織が創り出す「価値を創造し続ける」ということであり、その目的に向かって自分達はどのように日々心がけているのか…まずはそのことをしっかりと見定めて行かないと、チーム運営は必ず破綻します。

なぜなら、チームは人の集まりであり、人は機械や使い駒ではなく、感性と感情を持ったもの…完成と勘定ばかりを気にしているトップにはついて行かなくなるからです。 

 

 

認め合う個々の価値

 

会社やお店の運営を喩えに考えてみましょう。(学生スポーツなどについては、後ほど述べます。) 先に述べたように、会社やお店だと、運営の目的が「利益を上げること」と真っ先に言う経営者は少なくありません。

  

しかし、どんな商品やサービス(役務)だろうと、会社やお店が創り出すその「価値」が、自分にとても必要なものと認める顧客がいて下さるからこそ、その顧客が貨幣というツールを用いた評価により、売上高という指標につながっています。

その「価値創造力」は、チーム全体の維持能力・オペレーションスキルが高ければ高いほど、成長する可能性もあります。この成果が「利益」につながっているというプロセスを、チーム組織を牽引している運営マネジメント責任者が、結構忘れがちです。

  

「雇用されている人もおカネを貰っている以上プロ意識があって当然。そんなことを一つひとつ認めないと働けないなら、うちの組織には要らない。」と思っているトップがいる組織。

 

「うちの組織は、どこにいる誰にどのような幸せを創るためにあるのか…それを理解しているみんなの働きの結集が、成果につながっているので、とてもありがたい。」と、それぞれの働きを認めているトップがいる組織。

 

…さて、どちらのトップがいる組織のほうがモチベーションが上がるでしょうか…

 

「そういうことはあらためて認識するまでもなく、後者のほうが当たり前で、自分はしっかりその認識はしている」…このように豪語する人に限って、日々個々のあたり前の仕事ぶりを「認めている姿勢」を出している人が少なかったりします。

  

まずは、個々にもっと挑む姿勢を求める前に、それぞれのポジション・役割の中で、しっかり仕事をしてもらっていることを「認めている」空気は、マネジメントしている側から出しているでしょうか?

チーム全体が、価値を認めてもらうはずの顧客に向いて仕事をしている姿勢を、組織運営を牽引するトップが、しっかりと「認めている」ということは、個々に伝わっているでしょうか?

チームを構成する個々に「あなたの日々の働きが、自分達チームの目的(事業であれば顧客に喜ばれること)にどのようにつながっているのか」を、常に確認し合っている歩み寄りをしているでしょうか?

認めている上で、日々その働きがあるからこそ価値創造力につながっているという感謝…毎日でなくて構わないですが、そういう気持ちを示しているでしょうか。

 

「挑む姿勢」を求めること以前に、日々のあたり前の働きが、チームと顧客の満足にとって、どれほど大切なものかを共有していくこと…

時に、その日々のあたり前の働きに、常に感謝をしている気持ちを、チーム内で共有していくこと…

それはまた、何も上司と部下の垂直的な関係だけではなく、他部署・他部門同士の水平的な関係であっても、共有をはかっていくこと…(この水平的な共有も大切!

 

チームを目的に向かって導く者こそ、自らこの「空気」をしっかりつくらないと、そのチームは目的に向かってではなく、指導者(トップマネジメントや経営者)の顔色をうかがいながら仕事をするようになります。

 

そうなるとどうでしょう?

 

常に新しいことに挑戦する意欲など、出てくるはずがありません。逆に、常に日々のあたり前の仕事を丁寧にしていることの認知こそが、「新しいこと」「価値創造」「工夫」に対するチャレンジ精神の大きな礎になっているということ…。

それをどれくらいの人が意識しているでしょうか?

 

  

部活動も同様

  

このようなことは、学生競技のチームスポ―ツなどでも同じことが言えます。

むしろ、少子化が進むにつれ、今後学生スポーツについては、より一層の「危険性」を感じています。

 

チームの大会実績により、学校が有名になると、良い選手が集まりやすくなるという好循環を縮図にした獲得競争が後を絶ちません。

そのために、いつの間にか出てくる「勝利至上主義」…そこから自然と生まれる減点主義…つまりは、一人ひとりのもつ能力を伸ばす加点主義ではなくなってくる。

その結果、いつの間にか絶対権力者が行う恐怖政治に近いことが、どんなに小さな組織・チームでも起きたりします。

 

そうなると、どうしても人間形成が第一とは口だけで、実態は、なかなか能力が上がらない子供は見捨てられていくという…もはや子供の「育み」や「導き」という教育現場ではなくなっていく傾向が出ています。「やる気がない子は要らない」と突き放したり…。

 

その結果、「失敗したらどうしよう」「この人に気に入られなかったらどうしよう」「この人に認めてもらうためにはどうしたら良いのだろう」という本末転倒な意識が、子供達にも芽生えてきたりするのです。

 

強豪校は弱肉強食の世界だから、それがあたり前と考える指導者と保護者がいたとしたら…こんなに怖い世界はありません。子供の人間形成・心豊かさを育む教育現場であるはずの学生スポーツにおいて…そうした実態があるとしたら「育み」という場とはとても言えません。

一人ひとりの個性と感性を伸ばすべき場でありながら、気が付けば指導者の思惑どおりに動く選手だけを飼い慣らす場ではないのです。

それはもはや、学校や指導者の実績売名行為として、全国大会での優秀な成績を残すことが「目標」ではなく「目的」になってしまっています。

 

それぞれのポジションにいる人、それぞれの個性と感性を持つ子供が、その持ち場での役割分担をしっかり把握して、やるべき仕事をきちんとしている事実を、どれくらいチーム内で共有できているでしょうか…。

そうした空気づくりを、指導者自ら率先してつくっていることができているでしょうか?

 

何度でも言いましょう。部活動はプロ養成学校ではありません。教育の場なのですから、人間形成の育みこそが目的です。

 

もちろん、どんな場面でも「全国制覇など常に上を目指す」というのは、厳しい世界であることや重々承知です。したがって、先に述べたように、ボクらは「甘えの構造」を容認しているのではありません。

 

指導者とチーム同士でつくる「個々の価値を認め合う」空気をとても大切にしてほしいと願っているのです。

 

 

2015年に開催されたラグビーワールドカップで、南アフリカなど世界有数の強豪に勝って、日本ラグビーを大躍進させたエディHCの凱旋帰国時の記者会見での次の言葉が印象的です。

 

日本は、良い選手がいても、文化がプレーするということに直結していない。

高校から大学、トップリーグまでそう。

規律を守らせ、従順にするためだけに指導されている。

 

日本のスポーツ環境を揶揄したこの指摘は、大変興味深いものです。

 

 

結果よりも姿勢を…

 

さて、次のステップの話に写ります。

個々のあたり前の働きを「認める」ことから始めて、徐々に「挑みたくなる空気」の素地ができたとします。次は、小さな失敗を恐れずに、果敢に挑みつづけるために、「挑み始める瞬間」の空気の大切さです。

  

失敗は、挑んだ者だけが得られる自分オリジナルの成果

この主旨は、このレーベルそらのコラム「負けない価値」でも綴っています。そして、挑み続けたことを必ず「次につなげる意識」があれば、必ず自分達の資産になります。

 

だからこそ、ボクらは「小さな失敗の回転数を上げる」という空気を、組織内でどれだけつくっていくか…そしてまた、小さな失敗を恐れず、挑み続ける姿勢を、組織内でどれだけつくれるかは、マネジメントしている側の歩み寄りがいかに大切か…そうしたことを綴ってきました。

この環境づくりの話に絡めて、次の話も触れておきましょう。

  

アメリカでの人間科学でのテストデータによって、次のようなことが報告されていると聞きます。

 

「才能や結果を褒めた子と、日々の努力や取り組み姿勢を褒めた子とでは、後者が前者を追い抜く」

  

実際、コレも子供教育の現場だけではなく、社会人教育でも同じことが言えます。短期契約のプロはこの場合はこの限りではありませんが、組織では長いスパンでの人の育みが鉄則です。仕事でも学術でもスポーツでも、世界で対等に切磋琢磨できる「人財」は、その「長いスパン」の中で正しく育まれないといけないということなのでしょう。

  

上に立つ者や指導者(リーダー)こそが、チームを構成する人(子供・選手・部下)を、リスペクトまたは日々の仕事ぶりを認知するということが抜けた時点で、上に立つ者の成長も止まってしまうということ…これをしっかりと肝に銘じないといけないことは、ボクも常々自戒の念を込めて意識しています。

 

リスペクトは、なにも尊敬・崇めるというところまでいかなくても「日々のあたり前の働きを認めてあげる」「新しいことをやろうとしている意欲からでも認めてあげる」という程度のことでも良いのだと思います。

  

その日々のあたり前を軽視している組織こそ、その組織を構成している「個」の向上心や挑戦心が見えにくい…なかなか成長が見えにくい傾向が、どうやら強いようです。

 

また、挑んだ結果の「失敗」も「成功」も、本人が得た「成果」であることは間違いないのです。

指導者や組織トップは、できれば「なぜ失敗したのか」「なぜ上手くいったのか」の検証を一緒に寄り添って欲しいんですね。

それはもはや、組織としての「無形資産」になりますし、それを続ける空気こそが、必ずチーム全体の価値創造力につながります。

 

   

干渉なき推奨を

  

このコラムでは、「挑み続ける空気のあり方」として、以下のことを綴ってきました。

  1. まず日々のあたり前の仕事と役割を「認める」
  2. 挑もうとする姿勢を「見守る」
  3. 成果を一緒に「検証する」ことでお互いの次につなげる

最後に、もう一つだけ組織トップや指導者には意識してもらいたいと願うことがあります。それは、組織を構成している一人ひとりの「個人的な暮らしについてのあり方」についてです。

 

「挑み続ける空気のあり方」は、挑む本人にも挑む姿勢を待ち望んでサポートする側にも とても小さなことの「日々のあたり前」の積み重ねがあってこそというお話を綴りました。

 

そこで…その「日々のあたり前」をしっかりとするために、働く各個人であっても、学生スポーツの選手であっても、共通して大切にしてほしいことがあります。

 

これは、ボクの娘が大変お世話になったミニバスケ時代のご指導者、そして中学バスケのご指導者とその恩師、皆さんが共通しておっしゃっていたことです。

 

バスケットボールに喩えた話になりますが、「バスケの大切な試合ほど、日々の生活態度の全てが出る。日々の暮らしをどれだけていねいに、大切に過ごしているか…その全てが出る。」ということです。

 

このちょっとした一言…とても深いんですね。学校での説教的な話ではなく、社会人でも全く同じことが言えます。

 

会社勤めの人を中心に、職場とプライベートを完全に分けている人がかなり多いでしょう。もちろん、おカネの勘定はなおさらのこと、公私混同は良くありません。また、上司が、各個人のプライベートに関して過干渉すると、何かと人間トラブルになっていったり、ハラスメント的な事件になることもあり得ます。

 

ここで言いたいのは、それぞれのプライベートを侵害はしないが、ぜひ日々の買い物の仕方、家族や子供さんとの向き合い方、地域との関わり方、さまざまな場面での「暮らしをていねいにする毎日」を推奨して頂きたいのです。

日々の生活態度…やはりそれは、いろんなところで職場に出たりします。

 

職場で「挑み続ける」という気持ちになる最大の秘訣は、挑む本人が「楽しい」と思えるかどうかは、とても重要になってきます。

 

だからこそ!

 

職場から離れたら、ぜひ各個人の関心事や感性を大切にして、日々の暮らしをていねいすることで楽しむということを推奨して欲しいのです!

 

時に、日々のちょっとした暮らしの中に、価値創造の大きなヒントが産まれることがたくさんあったりします。

ただただ、上司から言われている仕事を黙々とミスなくこなすことだけが、社会人としての役割ではありません。各個人の感性に響く行動力から出てくる「気づき」こそが、価値創造力の原点であったりするからです。

 

むしろ、何事にも「無関心」というのが一番怖いんですね…。関心を持つとさまざまなことに興味をもち、いろんな場面で問題意識を持ち、多くの刺激の積み重ねが、その人だからできる「価値」につながります。

 

ぜひ、一人ひとりが日々の暮らしを丁寧にしていく…その大切さを組織(チーム)内で、しっかりと共有してみてはいかがでしょうか?

この「丁寧に暮らす価値」ということについては、「価値創造への資産とは」というコラムでも触れています。

 

 

今の社会に漂う空気

さて、まとめに入りましょう。

 

今の日本は、社会における大人の働きも…各地域での学校や学生スポーツの子供達の動きも…どこか行き過ぎた「画一化」の中にハマり過ぎのような気がしてなりません。しかも、怖いくらいに気づかない中にそれが組み込まれているように思います。

 

それは…「無機質でも生産性を優先」「ミスを減らす合理化」…これらが中心となりがちなことより、歪んだ「自己責任」という気持ち悪い風潮で片付けられてしまうこともあったり…。もっと平たく言うと…コドモ達の学校現場からオトナの職場現場まで全てにおいて「失敗が許されない」という空気が、歪んだ常識になりつつある状況そのものではないでしょうか。

 

そもそも、「失敗」は「挑戦」した証拠です。とにかく、挑戦した者でないと、失敗はしません。失敗から学んだり、気づくことが多いし、気づきは、必ず「次につながる行動力や工夫」として、財産になります。

  

人から非難され、人から指示されてばかりでは、失敗を恐れ、挑戦や気づきが生まれにくくなります。その結果として「画一的に、別にその人でなくても、いくらでも代わりはいる」という組織運営になりがち…。

 

それは、今のオトナ社会の現場でも全く同じ状況が起きているわけですね。だから、ボクらは、子供達の心豊かさが育まれる環境づくりと、オトナ社会での事業構築や組織運営をかぶらせて唱えることが自然と多くなります。

 

「どんどん小さな失敗をくり返せる環境を笑顔で創る…つまりは挑戦したくなる雰囲気を笑顔で創ること」…その環境の「築き」が、間違いなく能動的な姿勢の種(タネ)になる「気づき」が生れやすくなります。失敗のタネは、成長の跡のネタになり…成長の後には、失敗がネタとなって笑い話で済みます。

 

 

オトナでも、従順ばかりを求める企業文化では、社長の顔色ばかりを窺い、現場において、顧客が求めている新たな価値に対する「クリエイティブ性」へ挑戦する「個性」はどんどん失われていきます。また、なぜ挑戦する気が失せるかというと、これまで述べてきたように、案外日々のあたり前の働きを上司が「認めていない」からだったりします。 

 

この悪循環な社会での「空気」こそが、子供の教育環境にも影響を与えてしまっている一番怖い事だと考えられます。

 

 

誰から変わるべきか

そう、そうした空気にならないためには、誰から変わるべきか…

 

「子供達を変えたければ、まず我々オトナの振る舞いから」

「部下のマインドを変えたければ、上司の日々の行動から」

 

今、日本に一番求められているのは、オトナの自律なのかもしれません。

 

世のオトナ…特に親御さんの「子供の成功」に対して、もう少し長い目と深い心を持ってほしいな~と感じることが少なくありません。

 

もちろん、いろんな親御さんや教育者の考えがあって良いとは思いますが…とにかく「有名な学校」進学で、「有名企業」に就職することがゴールと思いこんでいる教育が一つ残念に思うのは…『大きく成って、オトナに成って、失敗しないためだ。子供のうちに成功の道は始まっている。』という思考性になりがちなこと…。そのマインドの人が、年々増えているような気がしてなりません。「大手企業だから安泰だ…」などと思っている人がまだいるなら、それはとんでもない話です。価値創造力が一人ひとりになければ、社会では通用しません。

 

いろんなお膳立てを大人がするのではなく、子供が失敗をくり返しながら、しっかりと自分の足でしっかりと歩む…それこそが感性を育むことにもなります。そもそも…世に出たら、教科書のような決まった答えが無く、事業や仕事の評価は、顧客(マーケット)がするようになるのです。顧客の満足を高める『価値創造力』が必要となってくるのです。

結局は、そこに到達するためには、常に挑み続ける「小さな失敗の連続」になっていくのですから…。

 

一方で、「自分達から自分磨きの勉強をしたくなる」という文化というか…本質的な教育環境を創っておられる教育者も何名か存じ上げています。

 

こういう教育環境であれば、しっかりと芽生えるのは「創造性」…つまりクリエイティブな感性の育みなんですね。

 

探究心・向上心・遊び心を忘れずに、どんどん邁進していく。バスケなどの学生スポーツも、企業での価値創造のチカラが求められる場面でも、きっと一緒なんやろうな~と…

 

長々と綴りましたが…これからますます人口が減って、先人の誰もが経験したことがないマーケット縮小という環境する中で、経済を創っていくのは次世代の子供達。

要は、今までのオトナの既成概念や固定観念が通用しない世の中になるのですから、クリエイティブ性が求められるのはなおさらのこと。

 

そうなると、彼ら世代に益々求められるのは「人とのつながりのチカラ」と「価値創造のチカラ」となります。この行く末を見据えながら、私達オトナは、職場や日常生活など、それぞれの場面で、言葉ではなくこれからのあり方を「背中」で語りたいと思うのです。

 

子供の前では大人から…

部下の前では上司から…

 

職場でも家庭でも学校でも、まずは「日々のあたり前」と大切に向き合いませんか?

 


【追記】

このコラムでは、「挑戦したくなる空気」をつくる重要性を、オトナ向けに綴っていますが…「つながりのチカラ」というコラムでは、学生スポーツをしてこれから社会に出る子供さんにも訴えています 

 



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